こんにちは、ハラです!
今回は歴史の雑学「日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇?」について解説いたします!
現在でも日本で子供から大人まで人気のなぞなぞですが、なぞなぞ本の初の編集者は天皇?どういうことでしょうか。
なぞなぞの意味、歴史についてもご説明します。
それでは、ご覧ください!
こちらの動画でも解説しています
1. なぞなぞの意味
なぞなぞ(謎謎)とは、言葉遊びのようなものであり、問題の内容にはひねりがあって、答えは何かに見立てられたものであったり、ダジャレであったりするものです。
ちなみにクイズとの違いは、明確な答えがあるかないかです。
クイズは事実に基づいた明確な答えがあるのに対し、なぞなぞは問題の裏を読んだり、例えられているものに気付くことができたら答えられるため、知識がなくても答えられるものです。
そのため、なぞなぞの答えを出すためには、知識よりも柔軟な思考や、ユーモアのある発想が求められます。
語源は「何ぞ?」「なんぞなんぞ」という問いかけの言葉とされています。
2. 日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇?
さて、本題ですが、日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇なのでしょうか。
結論、日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇です!
天皇がなぞなぞを編集したというのは、どんな流れでそうなったのか気になります。
ここから、なぞなぞの歴史を見ていきます。
3. なぞなぞの歴史
世界初のなぞなぞは、ギリシャ神話の中に出てくる、「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足、この生き物はなにか?」という世界的に有名なスフィンクスのなぞなぞです。
スフィンクスはこのなぞなぞを通行人に問いかけ、答えられなかった人はなんと、無条件で〇されたと言われています。
答えはちなみに「人間」です。
朝(幼児のよちよち歩き)、昼(大人の二足歩行)、夜(老人の杖を突きながら歩く様子)を人間の一生に例えたなぞなぞです。
日本初のなぞなぞは、平安時代に「『子子子子子子子子子子子子』は何て読むか?」という嵯峨天皇のなぞなぞです。
このなぞなぞは、嵯峨天皇が学者に向けて問いかけたなぞなぞであり、この学者は「ねこのここねこ、ししのここじし」と答えたと言われています。
なぜ学者はこう答えたのか。
それは、子の読み方には、十二支の「子(ね)」という読み方、訓読みの「子(こ)」、音読みの「子(し)」、ここにさらに「し」を変化させた「子(じ)」という読み方。
これを組み合わせて答えたとされています。
頭が柔らかいの極みですね。
筆者でしたら全て「こ」で答え、あまりのセンスのなさに、ど叱られていたでしょうね。
そして、長くなりましたが本題です。
日本初のなぞなぞ集は、室町時代後期に「後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)」という後奈良天皇がまとめた本です。
後奈良天皇はなぞなぞ好きの天皇として有名な方であり、なぞなぞを愛する気持ちから、日本中のなぞなぞを集めてこの一冊にまとめたと言われています。
その中で1つ、有名ななぞなぞをご紹介します。
「母には二たびあひたれども父には一度もあはず」です。
現代の言葉で表現すると「母には二度会うけど、父には一度も会わないものは何か?」です。
答えはちなみに「唇」です。
母は、この時代「歯歯」であり、上歯と下唇、下歯と上唇がそれぞれ二度接すると言われていました。
一方父は、「乳」であり、自分の乳に一度も唇が届かないため、この答えだそうです。
こちらもかなりの頭の柔らかさ?いや柔らかいを超えて、もう斬新ですね!
なぞなぞの生まれた歴史を見ていきましたが、なんとなぞなぞ本の編集者のみならず、なぞなぞを生み出した方も天皇でした。
4. まとめ
今回は歴史の雑学「日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇?」について解説しました!
日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇であったことがわかりました!
・なぞなぞとは、言葉遊びのようなもので問題にはひねりがあり、答えは何かに見立てられたものやダジャレであったりするものである。
・クイズとの違いは、明確な答えがあるかないかである。
・日本初のなぞなぞ本の編集者は天皇である。
・日本初のなぞなぞ集は、室町時代後期に「後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)」という後奈良天皇がまとめた本である。
筆者はなぞなぞが得意ではないため、スラスラ解ける方がうらやましいです。
なぞなぞは楽しむだけではなく、脳トレや、知育効果もあると言われているので、定期的に行うのも良いかもしれませんね。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。
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