【歴史の雑学】バスケットボールの面白歴史!ゴールは元々〇〇だった

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歴史

こんにちは、ハラです!

今回は、歴史の雑学「バスケットボールの面白歴史!ゴールは元々〇〇だった」について、解説いたします!

それでは、ご覧ください!

こちらの動画でも解説しています

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バスケットボールは1891年(明治24年)に、アメリカ・マサチューセッツ州で誕生しました。

当時のボールはサッカーボールであり、ゴールはなんと、桃を入れるカゴだったと言われています。

ルールは、桃のカゴを体育館の手すりに2個ぶら下げ、そこにサッカーボールを入れて、点を取り合うというものでした。

今のバスケットボールと比べると華やかさの部分では少し欠けていて地味ですが、なんだか楽しそうです。(浅いな)

ダンクシュートなんて、もってのほかですね。(当たり前だろ)

当時のゴールは、桃のカゴをぶら下げていたため、今のようにバックボードはついておりませんでした。

現在のゴールと、形がかけ離れていますね。

ちなみにバスケットボールの名前は、この桃の籠(バスケット)に由来し、日本語名もバスケットボールは「籠球」と表記されています。

ここからどのような経緯で、ネット、バックボードが付いた現在のゴールの形になったのでしょうか?

バスケットボールのゴールは元々桃を入れるカゴが使用されていたことがわかりましたが、どのようにして今の形になったのでしょうか。

ネットとバックボード、それぞれ見ていきます。

バスケットボールのゴールにネットが付いたのは、バスケットゴールが誕生してから約20年後の、1912年頃(大正1年)と言われています。

当時ゴールに使用されていた桃のカゴの問題点はズバリ、穴が開いていないことでした。

そのため、シュートが入ったら毎回二階席に行ったり、はしごを使ったりしてボールを取り出していました。

不便ですね。

ポイントが入ったら、入れた人はとてもうれしいですが、ボールを取り出す人はどんな気持ちで見ていたのでしょうか。入れた人が出すとしたら、なんとなく複雑ですよね。(知らない)

そしておまけにカゴは壊れやすかったため、金属製の円筒型のゴールになりました。

金属製の丈夫なゴールに変えたことで二階席に行ったり、はしごを使わなくても、下から棒などでつつくことで、ボールが取り出せるようになりました。

その後、徐々に形状が変化していき、現在のリングにネットが付いた形状になりました。

ゴールにネットが付いた理由は、リングのみの形状だとボールが通過する際に勢いよく落ちてきて非常に危ないため、ネットにくぐらせることで落下速度をおとすためだと言われています。

たしかにゴールは高さがありますので、ボールが落ちてきたらとても危ないですよね。

バスケットゴールにバックボードが付いていなかったことの問題点は、2点あります。

1つ目の問題点は、バックボードがないことで、ゴールに近い位置からのシュートでもそのまま飛んで行ってしまうことがあるため、難易度が高すぎたという点です。

バックボードがあると、ゴールに直接入らなくてもボードにあたることで入ることがありますが、ないとそんな訳にはいかないですよね。

当時のシュートを成功させるためには、相当な技術力が必要そうです。

2つ目の問題点は、2階席にいる観客から、放たれたシュートへの妨害行為が頻繁に起こっていたということです。

当時は、敵チームが放ったシュートに対して、足や手を伸ばして邪魔をする行為が頻繁に起こっていました。

バックボードがないからといって、モラルがなさすぎませんか。

やりたい放題ですね。

そして、これらの問題点を解決するためにバックボードが付いたのですが、最初に作成されたバックボードは、なんと木製でした。

そのためゴールに近い席の観客から試合が見えないことで苦情が多発したため、現在の透明なバックボードになりました。

せっかく見に行っても、ゴールの素材のせいで見えなかったら、たしかにガッカリですよね。

バスケットボールは現在1チーム5人プレイヤーがいますが、昔はなんと、体育の授業等で1チーム50人で遊んでいたと言われています。

これではボールがなかなか回ってきませんし、人が多すぎることでケガが多そうですね。

ワイワイ楽しそうではありますが。(ことごとく浅いわ)

実際この人数で体育の授業を行っていた担任の先生が、「体育館が破壊されかねない衝撃であった」とコメントするほどの衝撃でした。

なぜこんなに多くの人数で遊んでいたのか。

その理由は、当初のバスケットボールのルールに、プレイヤーの人数に関するルールが存在していなかったからです。

いくらルールが存在しないといっても、バスケットボールを作った人はここまでの人数でプレイすることを想定していなかったのでは?と思ってしまいます。

このような状況を踏まえ、やはりチームの人数は制限すべきとの意見が強まり、1893年(明治26年)には体育館の面積に合わせて5人、7人、9人で1チームとするようにルールが追加されました。

その後1897年(明治30年)、体育館の面積に関係なく1チームの人数は5人と定められました。

体育館が破壊される前に間に合ってよかったです。

今回は歴史の雑学「バスケットボールの面白歴史!ゴールは元々〇〇だった」について解説しました!

どれも意外な歴史でしたが、個人的には最後の1チーム50人で遊んでいた歴史があったことが特にびっくりしました。

現在の1チーム5人だとしてもバスケットボールの試合は迫力があるため、50人の迫力は想像できないです。

今もバスケットボールは人気ですが、今後もどんどん人気が出ていくと思いますし、みなさん一緒に応援しましょう!(ただのファン)

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事を書いた人

丸1日ゲームをして過ごせるほどゲームが大好きで、人に合わせるのが苦手なのんびりマイペースに生きているアラサーOLです。

お悩み解決する豆知識や、くすっと笑える雑学を中心に発信し、みなさんの通勤、通学、休憩時間が有益な時間、楽しい時間になるようなブログ運営を目指します。

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